先週、音楽の仕事で、仙台と熊本を訪ねる機会をいただいた。
杜のまち仙台では、町を上げての音楽祭。人々の奏でる音が、けやきの緑と蒼い空に響いていた。オーディエンスは笑い、踊り、時には涙を流していた。
街は整然とし活気に溢れていた。でも沿岸部は今もって津波の爪痕が広がっており、それまで営まれていた平和な生活は戻ってこない。
あの日から5年以上たっていても。
そして熊本へ。市内にお住いのYさんが多忙ななか車で案内してくださる。
手負いの街。市街地はそれでも復興の努力が見られるものの、被害が深刻な益城町あたりはほぼ手つかず。あの日から時間が動いていない。眼前に展開する景色に、21年前の阪神大震災がフラッシュバックし、眩暈がした。
5か月たつけれど、毎日のように余震があり人々には神経が休まらない日々が続く。
被災地は、エネルギーを消耗しており、ゆえにひっそりとしている。疲弊から。
音楽で縁あって、訪問させてもらっている土地。自分にできるのは何だろう。
実際に目で見ることの重さ。そして外に伝えていくことの大切さ。
その土地の人々との交流。音楽を通じて。
去る者は日日に疎し・・・目に見えないものは忘れられていく。
誰にでもできること。おそらくそれは縁がなくてもいい、その場所や人々に心をよせて、自身がその土地に寄与する方法を考える。その土地に行く、直に人に会う、行けなくてもその土地のものを買う、ちっぽけでも、意味があるだろう。
最も残念なこと、それは、忘れること、無関心でいることではないだろうか。