だれかが言っていた。
ライブ演奏が終ると同時にBGMを流すのはいかがなものかと。
さらに、はたしてライブハウスにBGMは必要なのかとも。
たしかに。
音楽がながれていない時間も、大切な空間。
がやがやしてたり、ときには沈黙もあり・・・
でも、ほんわかした、ゆる~い空間。
あ、ライブが始まる。
おもむろに持ち場についたミュージシャンの手元、あるいは口元から
ボロリとこぼれる生の音。
みんなが、すこし手を止める。
そこに、かすかな緊張と、これからどんな世界が拡がるのかという期待。
ごく自然に、オーディエンスの耳は立つ。
それを受け、音はみずからすべりだし、しゃべりだす。
演奏が終れば終ったで、しばらくはナマオトの余韻に浸っていたい。
そこにはしずかな空間がほしい。
はい、一丁あがり!みたいに機械からの音を浴びせられたくない。
気持ちというのは、すぐには切り替えられないのだ。
BGMを流すなら、耳を澄ませば流れているのが初めてわかるぐらい
慎ましやかであってほしい。
巷にはつねに音が氾濫している。
デパートにいっても、スーパーに行っても、
レストランにも居酒屋にも、駅のプラットフォームにも。
歩くときだって、電車の中だって、
若者たちは、ヘッドホンからひたすら音楽をインプットしている。
オトがないとおちつかぬ?
静寂不安症候群・・・とでもいうか。
いちど、自然以外の音をすべて消し去ってみたらどうだろう。
そうしたら、静寂もまた、ひとつの音楽だと、思えるかもしれない。