中学に入ったばかりのとき、学校から海キャンプに参加する行きしな、船が揺れて、大好きなお弁当のサンドイッチを半分ぐらい残してしまった。
残りは着いてからあとで食べようと思ってたら、先生が「捨てなさい」と言った。
夏で傷みやすいし、当然といえば当然だ。
でも、朝早く起きて母がせっかく作ってくれたサンドイッチを「捨てる」ことが、実に切なかった。
ごみ箱に入れたときの泣きたいようなきもち、なぜだか今でも蘇る。
(残すことはよくあったが、台所じゃないごみ箱に自ら捨てるということがショックだったのか)
捨てることに痛みが伴うのを実感した瞬間。
捨てるのは切ない。
まわりには「もう使わない(使えない)」「もう着ない(着れない)」ものが沢山。
でも、迷いに迷って大枚をはたいて買ったときのことや、手に入れたときの嬉しさなど思い出すと、なんとなく捨てられない。
そのものにくっついている「何か」を捨てるのが忍びないのだ。
料理も残れば捨てざるをえないが、調理にかけた時間や思いも一緒にガベッジに消えてしまうのは切ない。(大したものはつくらないくせに! はい、そのとおり)
元来、合理的な人間のはずだ、私は。
そうや。捨てるなんて、そんな、たいそうなことではない。
捨てなきゃ、進歩しない。わかってる。
といいながら、ずるずる、この先も捨てきれないものをいっぱい抱えながら生きていくんやろな。
身の回りにも、心にも。
潔くすべてを手放すことができる唯一の、この世にさよならする瞬間まで。